2022年6~7月:広がるインフレで生活は大打撃!- 給油に行くのも恐ろしい...!
ガソリン高騰で給油に行くのが恐ろしい...
前回書いた通り、私は5月末から2週間日本に一時帰国し、6月半ばにUKに戻ってきた。
美味しい日本食を堪能し、イギリスでは見かけないフワフワしたケーキや、ベーカリーで売っている種類豊富のパンも食べだめしてきて幸せモードで帰ってきた。
イギリスでは味わえない新鮮なお刺身も最高に美味しかった。
家でも、日本食は限られた材料で定期的に作るけれど、海外だと食材も高い。
たとえばキッコーマンのお醤油1リットルは6ポンド(約1,000円)くらいする。
5食入りのインスタントラーメンでも10ポンド(約1600円)はする。
外食だと、先日ロンドンで息子と二人で天ぷら+うどんを2人で食べただけで50ポンドもした。(約8,000円!)
という訳で、清水の舞台から飛び降りる思いで外食のうどんを食べなければならない。
それに比べ、日本では質がよくて美味しいものが手ごろな値段で食べれて、まるで天国にいるかのようだった。これは円安のおかげもあるかも、だが。
スーパーやデパ地下の食料品売り場は、ありとあらゆる食材や食べ物であふれ、お惣菜コーナーは材料を買うより安い値段で栄養のバランスのとれたものがたくさん並んでいる。
どれも200円~500円くらいで!
もう私はディズニーランドに来た子供のように、毎日食料品売り場でルンルンしながら心が高揚していた。
3年ぶりの日本だったけれど、値段も3年前とたいして変わってなかった。
100円ショップも100円のまま、質のいいものが売られていた。
もちろん消費税は10%加算されるけど、イギリスの20%に比べればまだ安い。
私の持って行った2つのスーツケースは、スーパーで買い溜めした食料品や雑貨ですぐにいっぱいになってしまった。
しかしながら、このような幸せ気分は、イギリスに帰ってきた途端にぶちのめされた。
日本に一時帰国する前から、ウクライナ紛争の影響でエネルギーや食料の値上りが始まっていたのだが、私が2週間日本に行っている間にも、インフレは急激に進んでいた。
特に私の長距離通勤に不可欠なガソリンは、みるみるうちに20%近くも上がっていた。
例えば、ガソリン1Lの値段だと
ロックダウン中 約£1.00 (約165円)
ロックダウン後 約£1.30
2022年3月(ウクライナ紛争開始直後) 約£1.60 (約265円)
2022年6月中旬 約£1.78 (約294円)
2022年6月後半 約£1.90 (約314円)
ディーゼル(軽油)だとガソリンより割高なので、すでに1L当たりほぼ£2.00になっている。
去年まで乗っていたディーゼル車をハイブリッド車に変えておいたのが少しは救いだが、それでも、今までより1ヶ月で80ポンド近くは余分にガソリン代を払うことになった。(約13,200円)泣….。
もう怖くて、給油中にポンプのメーターを直視できなくなってきた。
「ええ~!ちょっとしか入れてないのにこの値段!!?」と毎回心臓が止まりそうだ。
このまま値段が上がり続けると、そのうちガソリン代が払えなくて仕事にも行けなくなる日が来そう…。
日本でガスリンスタンドを通り過ぎた際に見かけた料金の看板をふと思い出した。
たしかそこには軽油で1L-140円とあった。
「ということは約80ペンス?」
UK価格の半分以下?!
私は「食料だけでなく、ガソリンも日本から買いだめして持って帰ってくることができればいいのに…。」と切に思った。
値上がりしたのは、ガソリンだけでなく、ありとあらゆる食料品もじわじわと上がってきているのが顕著にわかるようになってきた。
小さいものだと、パスタ1袋は今まで50ペンス以下(80円以下)で売っていたのに、いつの間にか80ペンス(130円)になっていたり、食料品以外の生活用品だと、洗剤やデオドラント、キッチンペーパーなど、数えたらきりが無いほど…。
ガス・電気の公共料金は2倍に!! 1ヶ月33,000円!
一番の痛手は、電気・ガスの公共料金が2倍になったこと!
コロナが始まる前までは、UK内にガス・電気の比較的安い供給会社がたくさん存在し、それぞれの家庭の使用量やニーズに合わせて、安いところを検索して契約していた。
供給会社が色々あったので、価格競争で料金も抑えられていた。
ところが、2021年が始まった頃からナチュラル・ガスの卸売り価格が250%も上昇したため、安い売値ですでに契約していたお客さんに対して値上げができず、仕入れのコストがカバーできずに倒産してしまった供給会社がたくさんでてきた。2021年以来なんと30社近くの供給会社が倒産したらしい。
ということで、私たち消費者は安い電気・ガス供給会社を選ぶチョイスが狭まった上に、生き残った大手数社の中から今までより高いタリフで契約しなければならなくなった。
更に追い討ちをかけるかのように、ウクライナ紛争が始まり、ロシアへの経済制裁が科されたことから、ロシアからのナチュラル・ガス輸入がストップしてしまった。
今年の我が家の電気・ガス代はなんと去年の2倍になってしまった。(悲…)
去年は電気+ガスの両方で1ヶ月100ポンドほど(約16,500円)だったのに、今年は2倍の200ポンド! (1ヶ月33,000円!) 前代未聞の値上がり方だ。
年間で計算すると昨年より1200ポンド(約20万円)余計な出費が増えたことになる。
これだけあったらホリデーに行けたのに...。
このままだと、セントラルヒーティングで暖房費が上がる冬が来るのが今から恐怖…。
冬はセーター重ね着で過ごさねば。
いつも電気やテレビをつけっぱなしの夫も、最近ではつけっぱなしの照明を見つけては消して回るようになった。
「ああ~、食料費も、ガソリンも、公共料金も何もかもが値上がりして、お給料も上がらないかしら…」
と思っていると、7月に入って今度は鉄道会社の労働者たちが賃上げ要求のためのストを始めた。
これで、大混乱なのはUKの空港だけでなく、もともと乱れていた鉄道も定期的に動かなくなった。
最近はコロナの規制もなくなったので、この夏各地で野外コンサートや、いろんなスポーツイベントが行われていて、移動する人も多いのに、大打撃だ。
電車も空港も大混乱なので、残さされた交通手段は車なのに、ガソリンが高くて遠出もままならない。
ああ~、もういや~!
私の心は、何もかもがUKより安くて美味しいものがたくさんある日本へ飛んで行って、深い日本ロスに陥っている....。
2022年5月~6月:3年ぶりに念願の日本一時帰国:ハードル高すぎ![その2]
念願の日本一時帰国へ出発!
5月29日の出発当日は予定通り、フライト出発時間の3時間前にヒースロー空港に到着し、チェックインカウンターへ。
出発前の3日ほど前に私の乗るフライトが混んでるかどうか見てみようと思い、予約のウェブを見てみたら、なんと便名が出てこなくて満席のようだった。
しかも、同じ日の遅い便をみてみると、なんと料金が2000ポンド(約35万円)を越えていた。私が4月に予約した時点ではまだ1000ポンドくらいだったのに…。
「やっぱり日本の入国規制が少し緩和されて行きやすくなったから需要が高まってるのかしら~。」と思い、きっとチェックインカウンターも混んでると予想していたのだが、思ったほど列もできてなくてちょっと拍子抜けした感じだった。
イギリス国内では公共の場でも、もうマスクの着用は義務付けされてないので、空港内ではほとんどの人たちがマスクを着用していなかった。
しかし日本の航空会社のフライトに乗る際は、まだマスクの着用を要求されている。
JALのチェックインカウンターでもスタッフの人達はもれなく全員マスクをしていた。
私もチェックインカウンターに並ぶと同時に持ってきたマスクを着用し始めた。
「ああ~、この先飛行中も15時間このマスクのお世話になるのね…。」とこれからマスク着けっぱなしの15時間耐えられるかしら..とちょっと不安になってきた。
チェックインカウンターに並ぶ列の入り口には立て札があり、「緑になっているMy SOS」の画面をご用意ください」とあった。
混んでなかったので、すぐに私の番がきて私は恐る恐るパスポートとオンラインチェックインを済ませた際にスマホに入れていたボーディングパス、それと緑のMy SOSの画面を見せた。
何も問題なくチェックインが終わるとホッとした。
ここで搭乗拒否に合うことを今まで一番恐れていたので、なにも問題なくスムーズにチェックインできて、緊張の糸がプツンと切れた感じがした。
「あとは飛行機に乗って日本に行くだけ~!」
セキュリティーチェックの入り口にはそれほど列ができてる様子はなかったので、見送りに来てくれた夫とカフェで一緒にお茶を飲んで別れた。
だが、一歩セキュリティーチェックの入り口を入ると、ぜんぜん列が動かない…。
私は4月にブダペストに行った時のことを思い出しながら「ここもかぁ…。」と諦めムードになった。
結局手荷物の検査テーブルに着くまで1時間ほどかかったが、今回はダッシュせずに無事フライトに間にあった。
飛行機に乗ってみると、機内は半分しか埋っていなかった。
窓側2列のところは1人づつしか座っていなくて、真ん中の列はグループの人たち以外は、両端に1人づつしか座っていなかった。
まだ日本の航空会社ではコロナの対策がとられているようで、ソーシャルデイスタンスがとられた配置になっていた。
「だから、もう満席扱いになっていて空き状況がWebにでてこなかったのかぁ~。」と納得した。
しかしキャパ半分で飛ばすのも利益があまりなかろうに…。
飛行中は隣の席が空いていたおかげで、圧迫感を感じずに、荷物も置けて結構快適に過ごせた。長時間の飛行に備えて用意していた空気で膨らますフットレストも、お隣に人がいなかったので気兼ねなく膨らまして足を置けたし、真ん中のアームレストを上にあげて、横になることもできた。
15時間マスクするのも不安だったけれど、乾燥していいる機内では逆に口の周りの乾燥を防げてよかった。
NetflixからIpadにダウンロードしたドラマシリーズを見始めると止まらなくなって、あっという間に時間も過ぎていった。
日本に到着後は関所の連続!
ドラマにはまっている間に3年ぶりの日本に到着!
到着したらまたPCR検査があるので、またもや緊張してきた。
しかしここで陽性反応がでても、強制送還されることはないのでちょっと安心…。
隔離されて家族と過ごす時間が短くなるのが難だけど。
飛行機を降りてからは関所があちこちに…。
こんな感じで進んでいった:
- パスポートを見せて身元確認。
過去14日の間に滞在した国や、機内での座席に変更がなかったか聞かれる。
番号のふられた紙を渡される。
- My SOSアプリに出ているQRコードをスキャンされる。
- 唾液のサンプルを採集する試験管を渡される。
- レモンと梅干のポスターの貼られたブースに入って試験管に唾液を入れる。
試験管の下から1.5センチくらいのところに線があって、そこまで唾液が達していないと、ダメだしがでて、もう一回ブースに戻って唾液を追加しなければならない。乾燥した機内からでてきたばっかりで、唾液が思ったほどでなくてちょっと焦る…。
- 試験管を提出して、1で渡された番号を照合される。
- 次の部屋に行くとハイビズジャケットを纏った係員が列をなして待機していた。
乗客が部屋に入って行くと1人につき係員1一人がついて携帯の設定のチェックをしてくれる。ここでは位置情報がONになってるかなどをチェックされ、なってない場合はONになるよう変更される。
- 次に進むと待合室のロビーのようになっていて、ここで1で渡された自分の番号がテレビのモニターに表示されるのを待つ。
まるで受験の合格発表を待っているかのような感じがした。
- 番号が表示されたら係員のいるカウンターに行く。
結果が陰性ならピンクの用紙、陽性なら水色の用紙が渡される。
ピンクの用紙を渡されたら入国手続きへ進める。
とまぁ、ここまで1時間ほどかかった。
私の検査結果は無事陰性だったので、ピンクの紙を手に「私は陰性よ~!」と言わんばかりに途中に立っている係員の人にも紙が見えるように自慢げに先に進んで行った。
この後は問題なく自動ゲートでパスポートをスキャンして、荷物をピックして、税関アプリをスマホに入れていたので、税関で係りの人とお話をせずに顔認証だけでスルー!
ここで「さすがぁ日本!」と思ったのは、到着後のPCR検査に1時間近くかかっている間に、係りの人が全員の荷物をターンテーブルから降ろして、きれに整列して待っていてくれたこと!
すぐに自分のスーツケースがどこにあるか一目瞭然でわかるように並べられているので、入国手続きが終わって出てきた人から順番に、さっさと荷物を取って行けるようになっていた。
これがUKなら、ぜったいスーツケースはターンテーブルの上に放置されてずっと回りっぱなしになってると思う!
「かゆいところに手の届くサービス! やっぱり日本っていいなー!」と、ここにたどり着くまでにストレス続きだったことを忘れるがのごとく、ほっと安心感を覚えた。
羽田空港には、友人が会いに来てくれていたので、新幹線で実家に移動する前に、早速一緒に空港内でランチ!
空港内のレストランやお土産屋さんは半分くらいままだ臨時休業中で、ちょっとさみしい感じがした。到着ロビーも閑散としていた。
旅行客が多すぎて、さばききれていないUKの空港とは別世界のようだった。
幸い、閑散としているレストラン街の中に和食屋さんが開いていたので、そこに入った。
私は夢にまでみていた(?)ねぎとろ丼を食べて、「ああ~、いろんなリスクを回避しながらPCR検査を受けて日本にたどりついた甲斐があったぁ~!」としみじみ思いながら味わった。
2週間、思い切り楽しむぞ~!
*追記:水際対策は6月に入ると更に緩和され、ワクチン接種歴があり指定国からの入国でなければ日本到着後のPCR検査はしなくてよくなった。出発があと2日ほど遅ければまぬがれたのに....。
2022年5月~6月:3年ぶりに念願の日本一時帰国:ハードル高すぎ![その1]
今まで日本に行くにはリスクありすぎだった…
コロナが始まってからというもの、日本の家族に会いに行くための一時帰国はこの3年間諦めていた。
出発前のPCR陰性証明を取得するだけでなく、日本に到着してからも更なる検査、そしてホテルで6日間の隔離(後になって滞在先での待機に変わった)、隔離が終わった後もAIからの位置確認や健康チェックが入ることを考えると、最低3週間は有休をとらなくてはならないし、隔離が終わった後も滞在先までの移動は公共の交通機関使用禁止なので、高い費用を払ってコロナ対策が施されたCOVIDタクシーを予約しなければならなかった。
3週間有休をとっても、家族と過ごせるのは2週間あまりだし、毎日のように位置情報をチェックされるのであれば、家族と遠出もできないし、空港からの移動に新幹線なみの費用を払わなくてはならない。
それに、航空券を買った後で陽性反応がでてしまうと全てのプランを練り直さなければならいリスクもあるし、そのコストをカバーするために通常より高い保険にも入る必要もある。
昨年の年末に日本に帰省した知り合いの中には、無事に検査をクリアしてCOVIDタクシーを使って実家にたどり着いた翌日、保険所から「同じフライトに乗っていた乗客からコロナの陽性反応が出たので隔離が必要です。」と連絡が来て、空港近くの隔離ホテルに連れて行かれ、お正月を家族と一緒に過ごせなかった人もいた。
本人が陽性でなくてもこんなショッキングなことも起こりえるリスクが…。
こんなこともあって、私を含めイギリスに住んでいる日本人の知人、同僚たちは日本入国の際の水際対策が緩和されるのを「ああ~、早く緩和されないかしら..。いったいいつになったらもっと簡単に日本に行けるようになるのかしら~。」と首を長くして待っていた。
「水際対策強化に係る新たな措置(27)」でやっと日本へ行けそう…
UKでは2022年になった途端、コロナの規制がどんどん解除されていき、3月末にはほぼ全ての規制がなくなった。
4月に入ると、皆コロナのことは忘れたかのようにマスクもなければ、陽性になっても、風邪をひいた時と同じような対処ですむような普通の生活に戻っていた。
そんな頃、やっと日本の水際対策が緩和されるというニュースが入ってきた!
「水際対策強化に係る新たな措置(27)」なるものが4月21日に発表された。
「新たな措置」といえども、もうバージョン27だ。
そして毎回新しいバージョンが出るたびに、厚生労働省のホームページにまどろっこしく書かれた謎解きのような内容を何回も読み直して、UKから渡航する自分に当てはまるルールは何が変わったのかを、周りの日本人の人たちと認識が合ってるか確かめ合った。
UK在住の日本人にとって今回の緩和の大きなポイントは…
- 指定国・地域以外から帰国する人で、ワクチンを3回接種していることが確認できる証明書を保持していれば、入国後の待機はなし。
- 入国後、公共の交通機関が使用可能に。
の2点!
4月の時点で、UK(英国)は指定国のリストには入っていなかったし、私はワクチンを3回接種済みなので、入国後滞在先(実家)でじっと篭ってなくてもOKになった。
そして日本の空港についたら、すぐに公共の交通機関を使って移動できる!
「もう、これは行くっきゃないっしょ!」
と夫に宣言し、すぐさまフライトを調べ始めた。
ちなみに、日本はその時点ではまだ外国人の入国に制限があり、コロナ前はビザなしで日本に入国できた外国人も今では特段の理由がないとビザの申請もできない。イギリス人の夫は、配偶者ということでビザを申請できるのだが、そのための書類を揃えたり、ロンドンにある日本大使館に申請と受領で2回行かなくてはならない。
今回は日本を見て回る目的ではなく、私の両親と妹家族に久しぶりに会うのが目的なので、ビザ申請の手間をかけて日本へ一緒に行っても、ほぼ毎日実家で両親と過ごすことになりそうだったので、私一人で行くことにした。
ハードル1:ウクライナ戦争で日本までのフライトが減便+遠回りに…
私はイギリスの中部にあるレスター市という街に住んでいるので、今まで日本に帰省する際は、ロンドンのヒースロー空港ではなく、我が家から車で1時間ほどのところにあるバーミンガム空港から、ヨーロッパの都市を経由して関空まで飛んでいた。
バーミンガムからは主にヨーロッパの都市へフライトが多く飛んでいて、日本行きに乗り継げるのは、エアーフランスのパリ経由、KLMのアムステルダム経由、そしてルフトハンザのフランクフルト経由。どれも最初の区間は1時間~1時間半ほどで、乗り継ぎ時間が2時間くらい、そしてその先の日本までは11時間くらいで、トータル移動時間が14~15時間でいい感じに乗り継げていた。
うちからヒースローまで車で行くと2時間半かかるので、結局トータールで考えると乗り継ぎでも全然よかった。
しかし、今回日本に行くと決めてフライトスケジュールをチェックしてみると、以前あったようないい乗り継ぎ便がでてこないではないか!
これは、ウクライナ紛争が始まって、ロシアへの経済制裁が始まったことで、欧州から東アジアへの最短ルートであるロシア上空を飛べなくなったため、フライトのルート変更に伴う発着時間の変更や減便になっているルートもでてきたからのようだ。
今まで14~15時間だった乗り継ぎ便は、なんと28時間近くかかるようになっていた。
「これじゃ、往復で2日以上かかって日本で過ごせる時間が少なくなっちゃう!」
ということで、ヒースロー発の直行便を見てみた。
残念ながら、ヒースローからは関空行きの直行便は出ていないので、羽田経由となる。
今までBA(British Airways)、ANA、JALが直行便を飛ばしていたのに、BAはJALとの共同運航便のみ、そしてANAは5月いっぱいまで全く飛ばなくなっていた。
というわけで、選択肢はただ1つ。JALに決定!
JALの直行便でも今まで12時間で日本まで行けてたのに、15時間かかるようになっていた。
フライトルートを調べてみると、日本行きは南ルートでヨーロッパを南下してトルコを通りロシアの下にある国々の上空を通って行くルート、そして帰りは北周りルートで、アラスカ、グリーンランド、アイスランドの上空を通り、スコットランドからUKに入るルートのようだ。
今まで15時間も飛行機に座りっぱなしだった経験がないので、ちょっと不安だったけど、これしかチョイスがないから仕方がない。
シートマップを見てみると、空いているところが少ししか残ってなかったので、私は早速行きは5月29日、帰りは6月11日で予約を入れた。値段は約1000ポンド(約16万円)
今までのこの時期の料金に比べると割高だけど、直行便だし、燃料の値上げもあるのでこれも仕方がない…。
しかし、いざ予約を入れるとだんだん日本行きが現実身を帯びてきてちょっとワクワクしてきた。
「15時間の飛行時間を退屈しないで過ごすために、IpadにNetflixからドラマをたくさんダウンロードしておこう!」と私は日本行きの準備を開始した。
ハードル2:日本入国のための書類やアプリの準備 – 出発直前までドキドキ
飛行機を予約してワクワクしてきたのもつかの間、今度は入国のために必要なアプリに登録したり、必要な証明書をアップしたり、ちゃんと必要な物がぬかりなく揃っているかチェックしたりと、だんだん神経がピリピリしてきた。
と言うのも、コロナの陰性証明書が必要条件を満たしていなくて搭乗拒否されたというケースがあったと聞いたり、出発前72時間以内に受けたPCR検査で陽性反応がでてホリデーを延期しなければならなかった人がいたと聞いたりで、最後まで気を抜けないストレスに襲われてきた。
5月出発の時点で事前に用意が必要だった物は…
- 政府のアプリ「My SOS」を携帯にダウンロードしておく
- My SOSに自分の詳細(名前、生年月日、パスポート番号、等)と登録してQRコードを取得しておく
- My SOS内にある質問票に答え、誓約書にサインして、登録済みにしておく。
- ワクチン接種証明書をNHSのアプリがらダウンロードしてMy SOSにアップしておく。これは簡単にできるので問題なし。
- 出発前72時間以内にPCR検査を受ける必要があるので、予約を入れる。
私は出発2日前に「翌日サービス」を予約した。出発前日に結果がくるので、ここで陽性だったら..と想像しただけでストレスレベルがアップ!
また「陰性証明は日本政府が指定したフォームを使うこと」と厚生労働省のホームページに書いてあるのだが、こんなイギリスの地方都市でこのフォームに記載して署名してくれる検査センターはあるの??と疑問だらけ。
そんな融通の効くサービスはイギリスには絶対なさそうだが、せめて必用要件を満たしてくれてるといいのだが..。
私は、過去数ヶ月の間に日本に行った人たち数人に聞き込み調査をして、無事に証明書を受付てもらえた成功事例のあるバーミンガム空港内の検査センターに予約を入れた。
My SOSアプリに質問票、誓約書、ワクチン接種証明書の3点をアップロードし終わると、最初赤色だったアプリのホームページが黄色に変わって、最後のPCR陰性証明書をアップすると緑に変わるシステムになっていた。
そして、出発当日、この緑になったMy SOSを提示しなければ航空会社のチェックインカウンターで、搭乗拒否されるというしくみだ。
私はなんとしても、この出発前のPCR検査をクリアしなければならぬ!と思い余計なリスクを避けるためにも、検査日の前の週からスポーツジムに行くのもやめ、人ごみの多い所は避け、スーパーに買い物に行く時は再びマスクを着用した。
そして金曜の夜ライブバンドの演奏をやっている賑やかなパブに友人たちと出かけて行った夫とはその日から出発日まで別の部屋で寝ることにした。
この努力の甲斐があってか、出発の前の日に無事陰性結果のお知らせが、PDFの証明書とともにメールで送られてきた。
私は早速証明書をMy SOSにアップした。
半日くらいするとホームページが緑に変わった!
私は思わず「やったぁ~!これで間違いなく日本に行ける!!」と叫んだ。
家族全員と、たまたま家に来ていた来客たちが皆拍手して喜んでくれた。
皆、私がこの数週間、最悪の事態を想定したりしてピリピリしてたことを知っていた。
ずっと心配していたPCR検査の結果がきて、「あとは飛行機に乗るだけ!」とちょっと安心して荷造りを始めた。
4月にバーミンガム空港からブダペストに行った時は、手荷物検査に2時間以上並んだので、今UKの空港が大混乱していることは十分承知している。
今回も余裕もって3時間半前までにヒースローに着くようにしなければ…。
今までMy SOSに書類をアップして画面が緑になってくれる事で頭がいっぱいだったのだが、今度はニュースでよく報道されている相変わらず超大混乱のUKの空港が気になってきた。
あ~、日本に帰る準備をするのに、こんなに気疲れしたこたが過去にあっただろうか…。
2022年4月:コロナ以来3年ぶりの海外旅行へ!- UKの空港は大混乱...
コロナ以来3年ぶりの海外旅行はブダペストへ!
3月18日からUKへ入国する際に必要だったワクチン接種証明の提出や、到着後2日めのラテラルフローテスト、それにPLF(Passenger Locator Form)の記入が廃止になった。
これは4月にやってくるイースターホリデーに向けて、海外旅行に行きやすくし、航空業界や旅行業界のビジネスを回復させようという政府の目論見もあって、このタイミングで廃止になったようだった。
今まで、いくら海外旅行は可能だとわかっていても、テストを予約したり、帰ってきて陽性反応がでたら隔離のため更に仕事を休むことになると思うと、なかなか行く気になれなかった。そんな面倒な思いするなら、国内旅行で十分と思ってる人たちが私の周りにも多くいた。
この時期と同じくらいのタイミングでヨーロッパの他の国々も入国の際の規制をどんどん緩和していった。
「ってことは、ヨーロッパ内なら行きも帰りも昔と同じように簡単に行けそうだね!」
と、そろそろ人生にイベントが欲しいと思っていた私と夫は、ちょうど4月の3週目にくる私たちの結婚記念日にどこかへ行こうという話をし始めていた。
「その週は、イースター休暇の次の週なので、ピークも終わってそれほど混んでもなさそうだし、決定!」
行き先を決めるための今回のポイントは;
- 週末を挟んで3泊4日で行けるところ (有休をとるのは2日だけで済む)
- 今まで行ったことのないところ
- 食べ物が美味しそうなところ
- できれば歴史的な街で見るところがたくさんあるところ
ということで、色々調べてみたところ、手ごろな価格で行けそうなところで、ハンガリーのブダペストに決定した。
期間は4月22日(金)~25日(月)で、市内の中心に位置するホテル3泊と往復のフライトで1人£360くらい。(約58,000円)
最後に夫と二人で海外旅行に行ったのは2019年のアムステルダム。
3年ぶりの海外旅行で、ワクワクしてきたのだが、空港にもしばらく行ってないので、何か変わってないかちょっと不安な感じも..。
人手不足で大混乱の空港!
私たちがブダペストへ行く1週間前はちょうどイースター休暇で、コロナの規制が全面解除された直後、初めての学校の休暇だったのもあってか、空港のチェックインや手荷物検査に長蛇の列ができている様子がニュースにでていた。
なんでも、空港のスタッフがコロナ禍の間に人員削減されていたのに、突然大量の旅行客が舞い戻ってきて、対応できてないとか。
チェックインは済ませたのに、手荷物検査が進まずに飛行機に乗れなかった人もかなりでていたようで、不満とストレスいっぱいの人たちがニュースにでてたり、手荷物検査場でスタッフにどなっている人たちのビデオがSNSにアップされてたりしていた。
そのニュースを見ながら、「私たちが行く頃は、イースター休暇終わってるからきっと落ち着いてるよね…。」と夫と話していた。
だが…!
私たちの出発日、旅行会社や航空会社のアドバイス通りに3時間前にバーミンガム空港に到着し、無事荷物を預け、「早めに手荷物検査終わらせて、中でお茶でもしようか」と言いながらセキュリティー検査のある2階に行こうとすると、2階へ登るエスカレーターの前50mくらいからかなりの人が並んでいるではないか!
「これは2階にいく列ですか?」と前に並んでる人に尋ねると、「Yes!!」と返事がきた。
イースター休暇が終わった後もこれだとは…。
通常なら当日買える「ファーストトラック」のチケットはもう販売中止になっていた。
「ファーストトラック」というのは、通常の手荷物検査に並ぶ列の脇に作られた別の通路でここを通ると優先的に先に進めるようになっている。
「ファーストトラックも買えないなら、もう並ぶしかチョイスはないね…。」と夫とあきらめて列に加わった。
30分ほどしてやっとエレベーターに辿り着いた。
「やっと2階に行ける!」と思ったのもつかの間、2階に上がってみると、いたる所にトグロを巻いた列が!
セキュリティーの入り口にたどり着くまでに、そのグルグルとトグロを巻いた列を回り歩いて1時間近くかかった。
やっと搭乗券をスキャンしてセキュリティーの入り口を通過すると、更にそこにもトグロを巻いた列がビッチリ!
そこから更に1時間近く並んでるうちに、「私たちのフライトのゲート閉まっちゃうんじゃない?」と冷や汗がでてきた。
やっと2階に上がれたと思ったら...。ここも列、列、列!
「フライトに間に合わなかったらどうしよう!?」と, あのニュースに出ていた人たちを思い出しながら不安になり始めた頃、係りの人が「ブダペスト行きの人はいますか~?」とコールしているのが聞こえた。
すかさず私が「Yes!!」と叫ぶと、手荷物検査テーブルのあるところまで先に通してくれた。
スキャンが終わった荷物をひったくるかのようにベルトコンベヤーから取り上げると、いつも見ているDuty Freeのお店には目もくれず、猛ダッシュで通過して、搭乗ゲートめざして全速力で走った。同じ飛行機に乗る人が周りにも10人くらいいて、時折「まだ間に合うよね..?」とか、「私が先にゲート着いたらドアを押さえておくわよ!」などとお互い言いながら他人と一緒に走った。
こんな時に限って、私たちのフライトが待機しているゲートが一番遠いところにあって、はるか彼方にあるように思えた。
ゼーゼー息を切らしながら走ったおかげでなんとか間にあった。(ホッ!)
飛行機に乗った途端、私は喉がカラカラに渇いていることに気がついた。
セキュリティーに入る前にペットボトルの水は捨ててしまったし、その後、並ぶ人達で熱気がムンムンするところに1時間以上いたし、売店で飲み物を買う余裕もなく猛ダッシュもして、脱水症状になりそうな感じだった。コロナ禍の時のソーシャル・ディスタンスはいったいどこへ行ったのやら?!
離陸して、ドリンクのサービスが始まると、出されたお茶をがぶ飲みして喉を潤した。
3年ぶりの海外旅行がこんなドタバタで始まるとは…。
何とかフライトに間に合って無事ブダペストへ到着
ブダペストまでは飛行機で約2時間半。
到着して荷物が出てくるのを待っている間に、Budapest Goというアプリをダウンロードして、市内の公共の乗り物のネットワークや時間を調べた。
空港から市内へ行くバスのチケットもオンラインで買えて、購入後出てきたQRコードを乗車する際に係りの人に見せてスキャンしてもらえばればOK。
最近は何でもデジタル化していて携帯さえあればなんでもできて便利な世の中!
予約していたホテルは市内の中心部にある、「Mercure Korona」というホテル。
( このブログにふさわしい名前!?)
歩いていろんなところに行ける立地で便利だった。
今回のスケジュールは…
1日め
- ハンガリーといばGoulash(グーラシュ)。これを味わってみる!
これはパプリカのいっぱい入ったシチューのようなスープ
- Great Food Hall – アールデコ風の大きな建物の中にあるマーケット。
新鮮な野菜や肉類をはじめとする食料や、お土産やさん、
食堂などがあって、見て回るだけで楽しい。
- Váci通り – ブダペストの繁華街でお店が集まる通りを散策
- Jewish Quarter – 昔ユダヤ人街だったところで、大きなシナゴーグ
(ユダヤ教の教会)がある地域。今では古い建物がお洒落な
バーやパブになっている通りが集まっていて、夜は若者たちで
賑わっていた。
2日め
- ドナウ川を挟んで西側にあるブダ地域を散策
高台にあるブダ城には、Funicularと言われる古めかしいケーブルカーに乗ってあっ
と言う間に到着。 お城から少し歩くと「漁夫の砦」と言われる砦がある。
どれも歴史的な建物でいたるところに装飾が施されていて、圧巻。
この高台からは、ドナウ川や対岸に位置する壮大な国家議事堂がきれいに見下ろせ
て絶景。
- ブダ側を散策し終わった後は、川の向こう岸にある国会議事堂周辺を散策。
近くの川岸には、ブロンズで作られた靴がたくさん並んでいた。
これはその昔、ナチスにここで射殺されたユダヤ人の人達を偲んでディスプレーさ
れているらしい。並べられた靴の中には子供用のサイズもあって、胸が痛んだ。
- 夜は、ドナウ川のナイトクルーズへ。
ライトアップされたブダ城や国会議事堂を川を下りながら両サイドに見れてその景
色の美しさに圧巻。「うわぁ~、綺麗!」しか言葉が出なかった。
3日め
- メトロに乗って街の中心から北東にある「Hero’s Square(英雄広場)」といわれる広場へ。1896年に建国1000年を記念して作られた広場で世界遺産になっている。この広場にはハンガリー建国に貢献した英雄と呼ばれる人たちの大きな銅像が並んでいる。広場と言う名の通り、やたらと広い空間だった。
- 広場のとなりに隣接している公園を散策。
ここにはVadahunyad Castleと呼ばれる、おとぎ話にでてきそうなお城がある。
また「セーチニー温泉」という温泉も同じ敷地にある。
今回は時間の関係で入れなかったのが残念…。
- 「世界一美しいカフェ」と言われる「New York Café」でランチ。
このカフェは1894年開業で、1歩中へ入るとまるでベルサイユ宮殿の中にいるよ
うな錯覚に陥るほど、内装がまるで美術館のよう。
大理石の柱に、天井まで描かれた壁画など。生演奏もやっていて、豪華な気分に
なれる。開業時の19世紀にはアーティストや学者の集まる場所だったとか。
私は軽めに海老入りシーザースサラダと紅茶を頼んだ。
4日め
- 帰りのフライトは夕方発だったので、再びホテルから歩いて行けるユダヤ人街へ。
今回はストリートフード屋の屋台が並んでいる所や「Ruined Bar」と呼ばれる、古
い建物がおしゃれなバーに改装されている場所を散策。
ストリートフードの屋台で、ハンガリー名物の「Chimney Cake」と呼ばれる煙突の
形をした筒状のドーナツのようなケーキを買ってみた。
注文すると、その場で焼いてくれるので7-8分ほど待たねばならない。
味は、油気のないドーナツのような味だった。
- この後も時間があったので、橋を渡って、ブダ側にある自由の女神像がある丘へ。休み休み歩いて20分くらいで女神像のある頂上へ。頂上からはブダペストが一望できる。
帰りはバーミンガムの空港で慌てふためいてダッシュするはめになったのを教訓に、予めブダペスト空港のファーストトラックのチケットを滞在中にネットで購入しておいた。
だが、着いてみると手荷物検査には長蛇の列はみられず、別にファーストトラックに並ぶ必要はないほど、サクサクと進んでいた!
人手不足なのはUKだけ??
他のヨーロッパの国々も、同じ時期にコロナの規制が緩和されたはずなのに、この違いはいったい….。
2022年1月以降 : Living with Covid-19 (ウィズ・コロナ)の始まりー普通の生活は戻ってきたけれど...
1月~3月: 規制がどんどん解除される
前回のブログを書いてから、いつの間にかもう5ヶ月が過ぎてしまった。
その間に世の中ではいろんな事が起きた。
2020年にコロナウィルスが蔓延し始め、ロックダウンが始まり、思いがけなく時間がたっぷりできたので始めたこのブログだったのだが、ここ最近は普通に仕事に行ったり、外出する機会も増えたりで、なかなか落ち着いてアップできなくなってしまっていた。(汗)
去年の末までは色んなコロナ対策の規則に縛られて暮らしていたのだが、2022年の年が明けた途端、UKでは徐々に規制が緩和されていき、3月末にはほぼ全規制が解除された。
UKに入国する際に必要だった出発前のPCR検査やPLF(Passenger Locator Form)の記入もなくなり、海外へ行きやすくなったので4月のイースター休暇に向けてホリデーの予約が殺到し始めた。
公共の場でのマスク着用義務もなくなり、最初はスーパーに行ってもまだ半分くらいの人達はマスクを着用していたのだが、3月以降になると、マスクを着用してる人はあまり見かけなくなった。
なくなったのは規制だけではない。
今まで無料配布されていたLFT(ラテラル・フロー・テスト)も4月から廃止となると発表があった。
この発表があった直後は、「無料でもらえる間にこのテストキットをオーダーしておこう!」と多くの人が同じことを思っていたのか、3月末までオンラインでのオーダーがなかなか受けつけてもらえなかった。
数回挑戦した後、なんとか我が家も最後に1セット(7回分のテストキット入り)確保することができた。
また、去年まではあちこちにあったPCR検査場も2-3ヶ月のうちに徐々に消えていった。
コロナ禍で働けなくなった人や、事業を縮小しなくてはいけなくなった企業へ供給されていた支援金も廃止となった。
もしコロナの陽性反応がでたとしても隔離をする義務もなくなったし、コンタクト・トレースのシステムも廃止となった。
と、まぁ過去2年間の間に導入されたありとあらゆる規制や制度が一気になくなっていったのはいいことなのかもしれないが、最初は「ええ?もう外でマスクしなくてもいいの?」
「陽性でも隔離もしなくていいの? なんだか不安だわぁ…。」
と皆でつぶやいていた。
まるで刑務を終えて久しぶりに自由な世界へ戻ってきて、とまどってしまうような感覚のよう!
そんな感覚もあっという間になくなって、3月末に最後の規制がなくなって2-3週間もすると、皆コロナウィルスのことは忘れたかのように普通の生活に戻った。
仕事でも同様に、コロナ禍中に中止になっていた業界のイベントである大きな展示会も4月に再開され、会場内はマスクを着用していない人たちで賑わっていた。
(参考)
今まであったコロナ対策の規制に代わって、Living with COVIID-19ガイダンスが政府から発表された。
規制が緩和されても次はロシアへの経済制裁で生活は更に不便に…
このような大幅な規制緩和がイングランドで始まったのは2月24日。
皮肉にも、この日はロシアがウクライナに侵攻した日。
せっかく規制が緩和されて普通の生活が戻ってくると期待していたのに、世の中は一向によくなる気配がない。
TVのニュースで、今まで普通に生活していたウクライナの人たちが家や家族を失っている様子を見て毎回心が痛む。
「コロナの規制が緩和されたら、もっと簡単に日本に行ける日ももうすぐかしら!」と期待していたのに、このロシアのウクライナ侵攻に対する制裁や、取引禁止で、ヨーロッパから東アジアへ飛んでいるフライトはシベリア上空を通過できなくなってしまった。
シベリア上空を飛んでいくのがヨーロッパから日本へは最短ルートなのだが、ここを飛べなくなったことと、まだ日本では入国制限があることなどから、日本行きのフライトもかなり減便されている。
日本へのルートも今までより遠回りしなくてはいけなくなったので、直行便でも以前よりプラス3時間はかかり、合計15時間ほどかかるようだ。
バーミンガムなどの地方都市から飛ぶ場合は、更に乗り継ぎが悪くなって合計28時間くらいかかるパターンが多くなった。今までは乗り継いでも15時間ほどだったのに…。
またロシアへの経済制裁や取引禁止によって石油やガスなどのエネルギーが高騰し、フライトの値段も見る度に上がっている。
「はぁ~、日本が更に遠のいて行くような気がするわぁ…」とまたため息がでてしまう。
エネルギーの高騰はコロナのニュースに代わって、ここ最近毎日のようにトップニュースで流れている。
ガソリンもロックダウンの時は1リットル1ポンド近くまで下がっていたのに、現在(5月)の時点で、安いスタンドでも1リットル1.65ポンドくらいはする。(約265円)
私は毎日片道1時間の車通勤なので、「そのうちガソリンが高すぎて仕事に行けなくなったらどうしよう!」と今から不安だ。
我が家のガス、電気代も去年の2倍近くに跳ね上がった。
夫はここのところ、家の中でつけっぱなしの電気を消して回ったり、洗濯物の回数を減らそう~と提案したり、省エネ対策に余念がない。
(と言っても私はジムに行ったらすぐにウェアを洗いたいので、こっそり洗濯機をまわしてしまう…)
輸送に必要な石油や、工場稼動に必要なエネルギーが高騰したため、物価も跳ね上がり、インフレーションが始まった。
コロナ禍から続く物資不足も相変わらず続いたまま。
車の部品もかなり不足してるようで、スーパーの駐車場には何と「排気パイプの盗難にご注意ください」(!!)という警告まで貼られていた。
また物資不足とロジステックの問題から新車の納期が6ヶ月~1年近くもするのは普通になってきたようだ。その影響ですぐに入手できる中古車の値段も高騰してきた。
レンジ・ローバーなどの大型SUV車などは、新車よりも高い値段で売れているとか。
もっと生活に密接している物としては、ティッシュペーパーが棚にあったりなかったり。
今まで使っていたブランドもいつも棚にあるとは限らなくなってきたので、好みのブランドではなくどんな商品も棚にある代替品を使うのが普通になってきた。
戦争中の国ウクライナから輸入されているひまわり油なども徐々にスーパーから姿を消していった。我が家はひまわり油を揚げ物に使っていたので、菜種油に切り替えることに..。
数ヶ月後にはウクライナで生産されている小麦も底をつくと言われているので、またパニック買いにならないかも心配。
5月現在の時点で、UK内の私の生活はもうコロナウィルスの存在を忘れるほど普通の生活に戻った。しかし、世の中がいい方向に向かってないのがとっても残念…。
2021年12月:誰もかれもがオミクロンなクリスマス休暇
同僚たちが次から次に陽性反応 - クリスマスのプランが泡に…
私の10日間の隔離期間が終わる24日のクリスマス・イブ、私の携帯に次から次にメッセージが入ってきた。
この日は会社の上司や同僚たちからのメッセージが多かった。
「隔離は無事終わった?」とか「調子はどう?」というような私を心配してくれるメッセージの他に、「お知らせまでだけど、他にも7人同僚たちがPCR検査で陽性反応がでだらしいよ。」という連絡もきた。
私が隔離に入った10日前まで職場で陽性反応が出たのは私を含めて3人だった。
「ええ?あと7人も?」とびっくり。
7人の中にはこのクリスマス休暇に海外に住む家族に会いに行く予定だったのに、出発前のPCR検査で陽性反応がでて旅立てなかった同僚もいた。
「あんなに久しぶりに家族と会うのを楽しみにしていたのに?!」
と人事ながら心が痛んでいると、また「ピーン!」とメッセージが届いた。
今度は同じ部にいる同僚から。
「皆が陽性になってると聞いたので念のためにLFT(Lateral Flow Test)を受けたら陽性でした。症状は今のところないけど。」と。
その直後、今度は違う部署の同僚から、「喉が痛くなって声が枯れてきたので念のためPCR検査を受けたら陽性だった!」とのメッセージが…。
ご家族の皆は陰性だったので、義両親の家で予定されていたクリスマスディナーはこの同僚だけが留守番することになったらしい。
この日は上司からも「実は僕も陽性だったから、クリスマスは無しになったよ。」とメッセージが届いた。
私の職場では普段常時オフィスに居るスタッフは30人くらいなので、1/3以上の人たちがコロナに感染したことになる。
しかも全員2回以上のワクチンを接種済みだ。
「いったいこの陽性反応の嵐はなに??」とメッセージを読むたびに叫んでていた。
クリスマス直前に陽性反応が出た人達は10日間の隔離を終える頃、ちょうど1月4日の仕事初めになってしまうので、実質このクリスマス休暇は隔離で終わってしまう。
国民の休日が日本に比べてやけに少ないイングランドではこのクリスマス休暇が唯一長い休みなので、全く残念なクリスマス休暇となってしまった。
メッセージをくれた同僚たちに症状を聞いてみると、多かったのは;
- 喉の痛み
- 咳が出る
- 体が痛い・だるい
- 無症状
とほとんど軽い症状だった。
PCR検査の陽性結果が送られて来る際には、どの種類のコロナウィルスかは書かれていないのだが、この「喉の痛み」という症状からして、恐らくほとんどの人がオミクロンではないかと思う。
つい先日隔離のルールが変わって、7日目にLFTを受けて陰性なら早く隔離を終えられることになったので、これを試してみた同僚も中にはいたけれど、7日目ではまだ陽性だったらしい。
「このクリスマス休暇は結局家に篭ってるだけのつまんない休暇になっちゃった!」と落胆していた。
ジングル・ジャブ・キャンペーン
同僚たち以外でも、夫の親族や知り合いの中にも同じ時期にコロナの陽性反応が出た人が数人いた。
ニュースでは、先週1週間のコロナ感染者数が170万人に達したこと、そして昨日の1日の感染者数が記録を更新して12万2千人以上になったとでていた。
私の周りだけで、15人近くは感染しているので、この記録更新のニュースは驚かなかった。
このクリスマス目前にして起きてる感染の嵐に対応する策として、「クリスマスの25日もワクチン接種を行うJingle Jab Campaignを実施します。」と政府から発表があった。
(クリスマスの象徴ジングルベルのジングルと、Jab[注射]を掛け合わせた駄洒落?)
クリスマスは日本でいうところのお正月の様にUKではスーパーを始め、ほとんどのお店や公共サービスがお休みになる日。
ワクチンを3回接種しているとオミクロン株に70%ほどの確率で有効になるらしいので、政府は休日も返上して急ピッチでこのブースター接種(3回目)を進めているようだ。
今回は新たな規制を導入するより、ブースターの接種率を上げて対応するプランなのかしら、とふと思ってしまった。
LFT(Lateral Flow Test=迅速テスト)キットが届かない!
今年の4月から始まったLFT(ラテラル・フロー・テスト=迅速テスト)キットの無料配布のおかげで、最近はどの家庭にもこのキットが常備されている。
このキットは薬局に行ってももらえるし、NHSのウェブサイトでオーダーすると、1-2日後には郵送で送られてくる。
最近はオーダーすると郵送か近所の薬局でコレクトするかの選択がでてきて、コレクトの際にはリファレンス番号が発行されて、指定の薬局でこの番号を見せると予約されたテストキットがもらえる。
1パックに7つのキットが入っているので1回のオーダーで7回テストが受けられるしくみだ。(詳しくは、https://elsaleo.hatenablog.com/entry/2021/08/01/230259)
中学校以上の子供や学生は、週2回のLFTが義務付けられているので、もうこのテストは歯磨きのように生活習慣の一部になってしまったようだ。
職場では、取引先の会社を訪問する際に「LFTを当日受けて陰性になってるキットを受付で見せてください。」と言われたりすることもある。(まるで空港並み?)
またこの大晦日、我が家の隔離が終わったので、義妹宅で行われる大晦日パーティーに呼ばれているのだが、「念のため、来る人は全員LFTを受けてきてね。」と言われている。
あとこのテストをよく使用する場面としては、人ごみの多い所に行った後、高齢者の義父母を訪問する時など、念のためにLFTを受けてから訪問したりしている。
と言ったようにこのテストキットは最近では鎮痛剤やバンソコと同じように我が家の棚に常備されている。
のだが!
今月半ばに私と夫と娘の3人がコロナに感染してしまったので、唯一陰性だった息子が頻繁にこのLFTで検査していてキットが底をつきそうになった。
すぐに私と息子で補充を2セット分オーダーしていたのだが、2週間近くたった現在もまだ届いていない。
娘もネットでオーダーし、薬局でコレクトする選択をしたにもかかわらず、薬局では「申し訳ないのですが在庫がきれてます。」と言われた。
原因はすぐに検討がついた。
- 1日10万人を越すコロナの感染者の人達が、早く隔離を終わらるには7日目にLFTを受ける必要がある。
- 1日10万人を超すコロナの感染者の人たちと同居する人や濃厚接触者もLFTを受ける必要がある。
ということで、LFTの需要が急激に増えたに違いない。
去年まではこんなテストキット見たこともなかったのに、今となっては無いと何となく不安になってしまう。
「ああ~、いったいいつになったら届くのやら…。」
こじんまりとしたクリスマス・パート2
去年はコロナの規制で我が家の4人+義母の5人でこじんまりとしたクリスマスだったので、今年は義妹の家族と合わせて11人で集まって久しぶりに賑やかなクリスマスを過ごす予定だった。
しかし我が家の3人がコロナに感染し、24-25日まで隔離しなくてはならなくなったため、去年より更にこじんまりと4人だけで過ごすことになってしまった。
思えば2年前のクリスマスまでは毎年4-5家族が集まって、いつも15人くらいで賑やかに過ごしていた。
そんなクリスマスは、なんだか遠い過去の出来事に思えてきた。
しかし、来客もなければ、着飾ってよその家にお邪魔しなくてもいいとなると、かなりリラックスできた。
今年は下宿生活で料理の腕を上げた娘が料理担当になってくれたので、更にリラックス!
クリスマスディナーの後は久しぶりに家族でトランプのゲーム等をしたり、親族とズームでクイズ大会をしたりして、隔離中でもそれなりに楽しめたクリスマスだった。
それにしても我が家の2021年は隔離で始まり、隔離で終わった年だった。
「もうコロナ感染と隔離はごめん!」と言いたい。
2022は何事もありませんように~!
2021年12月:またもやコロナに感染!― 恐らくオミクロン…
オミクロンの症状が現れる
ヨークに娘を迎えに行った次の週(12月13日の週)、私は喉の痛みを感じるようになった。こんな症状が出るのはもう何年も前に風邪をひいた時だったか?と思うくらい最近は忘れていた感覚だった。
念のため仕事に行く前に毎日LFT(Lateral Flow Test ― 迅速テスト)を自宅でやって陰性を確認していた。
しかし3日ほど経つと今度は咳きが出始め、たまに熱っぽくなる時も。
私は「インフルの接種も終わったし、コロナのワクチンも3回接種済みだから、きっとただの風邪かも。」と思っていた。
しかし何気なく「オミクロンの主な症状」と検索してみると、
- 新たな咳が継続する
- 喉に痛みが出る
- 頭痛
- 倦怠感
- 鼻水
と出てきた。
私は1-5まで全て当てはまるではないか!
特に1と2!
「ひょっとして?」と思い、今度はPCR検査を予約した。
木曜日、仕事から帰ってきて予約が取れるか見てみたら翌日の朝1の時間帯で予約できた。テストを受けて陰性の結果が出るまでは会社に行けないので、17日の金曜日はお休みすることに。
その頃娘にも頭痛と倦怠感という症状がでていたのと、ロング・コビッドからやっと回復しつつあった夫も呼吸する際に肺に重みを感じていたので、一家全員でPCRの予約を入れた。唯一息子だけは何の症状もなかったけれど、念のため一緒に行った。
家から車で5分程の所にあるPCR検査センターまで運転しながら、今年の1月のことがフラッシュバックしてきた。(https://elsaleo.hatenablog.com/entry/2021/01/31/000000_1)
まだワクチン接種が高齢者から始まったばかりの頃、一家全員が次から次にコロナに感染し、1ヶ月まるまる家で隔離することになったんだった。
「ひょっとしてまたあの隔離生活をやるはめに??」と不安になったけれど、あれから状況は少し変わっていた。
先ず隔離期間が14日間から10日間に短縮されたし、全員ワクチン接種済みなので、前回のように救急車を呼ぶ事態にはならないはず…。
なるべくポジティブに考えることにした。
PCR検査は1年前より効率がよくなっていた。
予約するとQRコードがメールで送られてきて、検査場に着いた時と、検査済みのサンプルを渡す時にこのQRコードをスキャンされる。
QRコードにはすでに個人情報が入っているので、検査場では何も記入しなくていい。
検査に行った翌朝、メールとSMSで全員に結果が送られてきた。
何となく予想はついていたけれど、私と夫と娘は陽性、息子だけが陰性だった。
「これは絶対この間の週末にヨークに行った時にどこかでもらってきたに違いなね。」
という意見で一致した。
先週末、大学のクリスマス休暇が始まるので娘を迎えに夫とヨークまで行き、3人でクリスマスマーケットなどを見て回っていた。屋外ではマスクをしてない人も多くいて、何だか安心できなかったのを覚えている。
息子だけは留守番だったので、これは絶対ヨークから来たものだと確信した。
またもや隔離生活で今年のクリスマスもこじんまりと...
検査結果のメールで一緒に送られてきたコードをCOVID-19アプリの「Result」という画面に入力すると、隔離日数のカウントダウンがスタートした。
隔離期間は症状が現れた日からカウントされるので、私の場合は12月15日から数えて10日目の12月24日が隔離の最終日になった。(クリスマスイブ!)
仕事は23日が仕事収めなので、実質今年はもう出勤できなくなった。
会社に連絡を入れると、他にも3人ほど陽性反応がでた同僚がいたようだ。
いつの間にこんなに?
感染が広がって残念なクリスマス休暇にならないよう、仕事収めも1日早くなって22日になったと聞いた。
夫と娘の症状は私より1日遅れで現れたので、隔離期間はクリスマスの日、25日までとなった。
これで今年のクリスマスはキャンセルに…。(泣)
去年はバブルグループとでしか一緒に過ごせなかったので、「今年は親族皆で集まって食事をしよう!」と義妹がホストをかってでてくれていた。
義妹の家族、義父母、そして我が家の11人で集まってクリスマスディナーをする予定だった。
夫が義妹に連絡を入れると「残念だけどしょうがないわね。実はうちの娘の職場でもコロナの感染者がでて、今テストを受けにいってるの。夫の職場でも数人感染してるみたいだから、安全のためにも別々に過ごした方がいいわね。」
と返事が返ってきた。
今年のクリスマスもこじんまりと過ごすことになりそうだ。
あちこちで規制の強化が始まった...
このように誰かと話をする度に誰かが感染しているという情報が入ってきて、ニュースで聞いていた以上に感染力と感染スピードが早いことがわかった。
私たちの検査結果がでた17日(金曜)のニュースでは1日の感染者数が93,045人にもなってパンデミック始まって以来の最高記録になったらしい。
プレミアリーグのフットボールの試合も選手や関係者に感染者がでて3試合がキャンセルになった。
翌日の18日にはフランスがこの感染者数の高いUKを危惧して、UKからの旅行者のフランス入国を禁止すると発表した。
アイルランドでは夜8時以降の外出禁止、オランダでは再びノン・エッセンシャルなお店が閉まるロックダウンが開始され、UK内ではウェールズ、スコットランド、北アイルランドでも新たな規制が実施されることになった。
ロンドンでは過去最高の感染者がでていて、市長のカーン氏が事態の緊急性を危惧するメッセージを発信していた。
しかし、今のところボリス首相からはイングランドで新たな規制をクリスマス前に実施する発表はされていない。
親族や友人たちと集まるクリスマスをだいなしにしたくないから?
「でもこんなに爆発的に拡散しているのに、クリスマスの後では遅すぎない?」
とまたまた不安になってきた。
隔離期間の短縮と1日の感染者が10万人突破!
今日(22日)のニュースでは、この隔離期間がまた変更されるとでていた。
6日目にテストを受けて陰性なら7日で隔離を終了できるようになったと。
今までは10日間だったので3日間短縮されることになる。
そして今日発表された統計では1日の感染者数が106,122人とはじめて10万人をこしたとも!
これだけの人が10日も隔離すると社会が回らなくなるから7日になったのかしら…。
実際、電車の運転手さんやスタッフも多くの人が隔離していて、ダイヤを減らしているともニュースにでていた。
社会の機能が止まりませんように。
前回(今年の1月)の隔離中はNHSから毎日電話がかかってきて、「ちゃんと隔離して家に篭っているか」というチェックがあったが、今回は人ではなくてSMSのメッセージが2日おきに送られてきている。
さすがに隔離している人が10万人を越すと、電話で確認するにもマンパワーが足りないに違いない…。
隔離生活5日めの今日の時点でまだ咳は続いているけれど、喉の痛みはなくなって、熱っぽくもないので、幸い普通の風邪の症状で終わりそうだ。
早くこのオミクロンの嵐が去って平穏な日が戻って欲しい。
コロナもう嫌!!